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ごまめ日記

ごまめの歯ぎしりような世間に届かない日常の”つぶやき”

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妄想

元々自己中心的な父は、母や子供達(私と二人の弟)を自分の思い通りにしてきました。

老いと共に、そこに妄想癖というものが加わりました。
には異常で、浮気をしていると思い込み、
自分の思うことは、全て正しくそれが現実だと疑いません。
なので違うと言っても聞きません。
父にとっては「そうとしか考えられない」のです。
それで母を攻撃します。離婚だと言って騒ぎます。

母以外の人には、とても親切です。
病院でも周りの人に危害を加えないのでいつまでも入院というワケにもいかないようです。
かといって退院といわれても家族が、困ります。

まだ、これから先を対策中です。
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3ヶ月

一向に病院へ行ってくれない父。
良い状態が続くのもせいぜい2週。
夜から明け方に騒動を起こすので母は、安心して寝られません。
弟も胃潰瘍が治らないので、もう限界になってきました。

弟が最初に相談した福祉支援センターでは
「人に危害を与えるような行動を取った時には警察に言って拘束してもらって病院へ行ってください」

で警察に確認してみると、
「拘束しに行きますが、病院は確保しておいてください」

ところが病院は、
「予約してもらわないと診れません」

結局、弟は・・・
どないしたらええねん?状態。

それでまた支援センターに相談すると
警察と相談してみます

そんな努力があって昨日、入院の運びとなりました。
母が、家出をしてから3ヶ月でした。
これで解決では、ありませんが、入院してくれている間は、
母も弟もグッスリ!寝られると思うと私も気が楽です。

行きつ戻りつ・・・

しばらく父の感情が安定していたので母も弟夫婦も
「普通に戻ったんかな?」
と思っていたそうですが、また不安定になって母が気に入らないとかで
離婚や~!
と今日は朝から市役所へ離婚届の用紙をもらいに行ったそうです。

これが2回目。
母が家を出ている時に
「おかあちゃんに書いてハンコ押してもろて、出してきてくれ」
と離婚届を預かりましたけど、誰が親の離婚に荷担するようなことします?

離婚など本気ではなく母に言うこと聞いて欲しくて意地悪しているだけで、また何かの弾みで突然!気持が変わることもありますし、とても扱いにくい父です。

行きつ戻りつ感情が変化する父を気にしながら私達夫婦は、銀婚式を迎えました。

被害妄想

先週、母と弟(長男)が心療内科へ相談に行きました。
結果、父の今の様子では薬を飲むほどでもなく、本人に治す気が、なければ何もできないとの事・・・。

そして翌日は、弟(長男)と私が、市民病院の相談室へ。
そこでも
「担当の先生には、お話しますが、無理強いもできませんし本人が、治そうという気がないとどうしようもありませんね」

弟(長男)「思ってた通りやったな~。せやけど、これでオトンが、もし迷惑をかけても
『心療内科へも市民病院へも相談に行きましてんけど、どうにもなりませんのや~すんませんな~』
って言い訳できるし」

なるほど、そこまで読んでいたのかと、ちょっと感心しました。

実際、父の被害妄想で一時、母の親戚にどれほど迷惑をかけたことか・・・。
姉弟三人で謝りに行きました。

鬱になると何でもないことを悪い方に考え、躁になると攻撃的になるので、また何をしでかすか。

些細な、いさかいは、あるようですが、私に連絡するほどの事件は起こっていないようです。

捜索願、その後

父の捜索願を出して、見つけてはもらえませんでしたが、自殺の可能性も示唆していたこともあって
地元の警察は、毎日のように
「連絡がありましたか?様子は、どうでしたか?」
と聞いてくれたそうです。

父が帰ったので捜索願は取り消したものの
「水死体が・・・」とか
「行き倒れの人が・・・」
と二ヶ所の警察から問い合わせが、あったそうです。

取り消しが周知されるのに時間がかかるみたいですね。
でも捜索願が、行き渡ったのは確かなようです。

マンスリーマンション

母は、家を出てからしばらく親戚のお世話になっていましたが、
いつまでも親戚に頼るワケにもいかず、家には、戻りたくないというので
マンスリーマンションを2ヶ月間、借りることにしました。

普通のマンションより割高ですが、前払いなので保証人は、必要ありません。
水道、ガス、電気代込みで、冷蔵庫、電子レンジ、テレビ、洗濯機、エアコンなどの電化製品と
寝具が付いています。

場所によって違いもあるようですが、そこは、お鍋や食器、炊飯器など、
台所のものは、ありませんでしたから100円ショップで買い求めたり、
私の家にある使っていないモノを持って行ったりして、暮らせるようにしました。

ひと月あまり父から離れて、母の気持も落ち着き、父が普通の状態ではないと
理解した上で先週末、家に戻ったのですが、やっぱり父の感情の起伏の激しさについていけず、
マンションに戻ったりしています。

でもそうしながらでも母が現実と向き合うようになっているのを感じます。

母が気づいていなかった

またまた話しは、戻りますが・・・。
以前から母は
「おとうちゃんとは、暮らされへん、もう家を出たい!」
と何度も聞かされていました。

元々、父は、頑固で融通のきかない人でしたから、
それが、ひどくなった程度にしか私達も考えていませんでした。
一番近くに居る母が認知症の始まりであるとは思いもせず
父の対応に疲れ切って家を飛び出してしまったのでした。

弟(長男)は、父の仕事を継いでいるので父の出来る程度の仕事を
与えてきていたので最近、よく物忘れをすることや、
仕事を最後まできちんと出来ないことが気にはなっていたようです。

しかし母が家を出て接する時間が長くなって被害妄想と感情の起伏の
激しさから認知症の始まりではないかと疑い始め、家族に認知症の
いる方に話を聞いて間違いないと確信したそうです。

捜索願は、出したけど

思いつきで書いているので話は前後しますが・・・。

捜索願を出した次の日、携帯電話の通話で父が鹿児島市内にいることが、わかりました。
泊まっているホテルか旅館が、わかり次第、弟(長男)は、父を引き取りに家族揃って行くと言います。
私も一緒に行くつもりでいたら夫まで
「鹿児島なんか滅多に行かれへんで~オレも行こ~」
皆、行く気満々!(^^;)

しかし鹿児島市内にビジネスホテルだけで200軒!
自殺などの緊急性がないだけに、それ以上の捜査はしてもらえませんでした。
捜索願を出せば必ず見つけてもらえると思っていたんですけど警察もそこまで暇では、ないようです。

そんな日に限って・・・

支援センターの方が、父の様子を見に来てくださった時、私はその場に居ませんでしたが、弟(長男)が言うには
絶好調!
だったらしく
「病院へゆくほどのこともありませんし、このまま生活するしかないですね」
と判断されました。

しかし、市民病院では、本人が診察を受けるまえに家族が相談できる窓口が、あって家族の意向にそって医師が、治療方針を考えてくださることもできることや、何か変化があれば対応してくださるというのを聞いて気持にゆとりが出来たのは、確かです。

支援センター

感情の起伏の激しい父を精神科の病院へ連れて行こうとしましたが、名前を聞いただけでも精神科とわかる病院ばかりなので父は
「行けへん!」
と、激しく抵抗します。
病院もいつでも受け入れ体制ができているというわけでは、ありません。
鬱の症状がでるのは、夜ばかり、そのたびに誰かが犠牲になります。
サラリーマンの弟(次男)は、翌日仕事行けません。

ちょっと離れた病院の方が、いいかと検索してみましたが、病院自体の評判も分からず、疲れてしまいました。
その時、父を病院に連れて行けなくて相談にだけ行った時に
「市や保健所に相談窓口が、あるはずです」
と言われたことを思い出したので市のHPを調べてみると
高齢福祉、地域支援センター
に相談できることがわかりました。

経験の無い家族だけでは、できることがしれています。
専門知識の有る方に頼ると、気も楽になります。

携帯電話会社の差

父の捜索願を出した時に分かったこと・・・。
父が持っていた携帯電話は、ソフトバンクのものでしたから所在を探知するのは、24時間、一回限りと言われました。
それも通話しないと探知できません。
auなら電源が入っているだけで居所が、直ちにわかるそうです。

その時間を決めるのに迷いましたが、寂しさもあってか父は、毎日電話してきたので、鹿児島に居ることだけは、わかりました。
でも詳しい場所がわからないまま船で移動してまったのでどこへ行ったのかと心配しました。

結局、種子島から帰ってきました。

放浪癖のある年寄りに、ソフトバンクの携帯は考え物です。

この日が、始まり

この日の朝、母から電話が、ありました。
母「もうお父ちゃんと一緒によう住まん!家でるから心配せんといて!」
私「どこへ行くの」
母「どこへでも行ける!」
私「ちゃんと住むとこ用意せなアカンで」
母「それくらい分かってる!」

そんな会話をしました。
でもその時は、単なる夫婦げんかだと思っていたのです。

その後、今度は、父から電話が、あって
父「話ししたいことが、あるから来て」
というので、実家へ行きました。

そこで出てくる父の自分勝手な思い込みから出てくる不満。
夫婦の仲を戻そうとしても父には、通じない会話。

初めて気付く父の症状、認知症の初期でした。

この日から落ち着かない日が、始まりました。

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芸術的なこと。
自己紹介:
両親のいざこざから始まり休む間の無い日常、そして頑張りすぎた私に降りかかってきた災難!
元気が、取り柄だったのに病気とお友達になってしまいました。
介護と向かい合ったことから、回復日記と健康日記へと続きます。

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