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ごまめ日記

ごまめの歯ぎしりような世間に届かない日常の”つぶやき”

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1年を目前にして

7月25日に父が、ケアハウスに入所して1年を迎えます。
その日、ちょうど実家では、夏祭りで、子供会の会長を務めている弟夫婦は、準備に忙しくしていました。

これまでも病院に入院した日、誕生日は、家に帰ると言い出して私達を困らせていたので、1年を迎える日は、父が、自分の活躍の場だと信じているお祭りでもあり、弟も警戒していました。

それで今まで以上に父に会いに行く回数を増やしたりして父の様子をうかがっていました。

案の定「祭りを見たい」と言いだし、見るだけならと思って弟も承知したので夫と私で少しの時間だけでも連れて行こうとしたのです。

しかし父の頭の中では、帰りたいという欲求が、ドンドン膨らみ、とうとう7月20日の深夜(すでに21日)無理矢理ケアハウスを出ました。

ケアハウスから連絡を受けた、弟は、お祭りの準備で疲れていることもあって、もう動けないと私に電話してきました。

夫に頼んで実家に車を走らせて貰い家の前で深夜1時からもう一人の弟(次男)と父の帰りを待ちました。
普通なら30分もあれば家に着く距離ですが、なかなか父は、帰ってきません。
トラブルが、あってケアハウスに戻ったのかと電話してみましたが、居ませんでした。

深夜2時近くになってようやく姿を見せた父。
目もはっきり見えなくなっているのと多くの荷物のために自転車を走らせることが、できず、ほとんど歩いて帰ってきたとか。

ケアハイツの社長さんも心配で見に来てくださいましたが、今回ばかりは、言うことを聞かず、翌日、母を追い出し
「ここは、オレの家や~!帰ってきて何が悪い!」
とまくし立て母は、しばらく親戚に居候となりました。

その後、母は、ショートステイで避難することが、できましたが、父は、また勝手な妄想で何が気に入らないと怒り出すか、わかりません。

お祭りだけでも大変な時期に弟のストレスは、溜まる一方ですし、私も父の様子が気になって毎日実家に行っています。
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話し合い

父が、暮らしているケアハウスの社長さんの はからいで家族で話し合う機会を 得ました。

以前、話し合うことを勧めてくれた叔父も同席しました。
結果、父の話すことは、今までと何一つ変わらず、母と離婚したいと言うだけ。

叔父にしてみても父が、話せば話すほど、
なんだこれは?
ということになり後で、母に言ったのは、
「もうちょっとマシかと思ってた」
でした。

人の話が、聞けない分、父の思い込みは、解消されずイライラは、つのるばかり。

これで、良いとは思ってないです。

父がケアハウスで母は、自宅、という生活が、続いたままです。
叔父(父の弟)が、父と私の前で言いました。
「これでええのか?なんとか元のように暮らせるように話し合いは、でけへんのか」

心配してくださる気持は、わかります。
できたら父を家に戻したいと思います。

でも父が母を責める気持は、変わっていませんし、
母は、父が、また言葉の攻撃をしてくることを恐れていることも
変わっていません。

私の答えは、
「これが、ええとは、思ってないけど、今は、これしかないんです」

最初は、叔父も話し合えば元に戻るのではと期待していたような口ぶりでしたが、

父自身も
「おかあちゃんの顔を見たらカッ!となって何をするか分かれへんで」
とまで言うので叔父も
「今は、このままの方が、ええみたいやな」
と理解してくれました。


父と母が話し合えるくらいなら、このように別居することには、ならなかったのです。

忘れることも幸せ

過去の記憶と思い込みで母を責める父と、消化されなかった過去の思いを吐き出して父を責める母。

少しでも自分に非が、あったのではないかという思いが、出てくれば、二人の溝は、狭まるきっかけになるはずです。
しかし、お互いに相手を責めることしかしません。

そんな両親のことを姑に話すと
「なんで過去にこだわるのやろうね。済んでしもたことあれこれ言うてもしょうないのに」

確かにそうです。
もともと物事にこだわらない性格の姑ですが、歳と共に衰える記憶によって過去のいい思い出も消えているかもしれませんが、イヤなことを思い出すこともないのは幸せだと思います。

父と母も、姑のように生きられたら最後まで幸せな人生だったのに、その人の性格でしょうか、生きることは、難しいものです。

頑張る私!(手前味噌)

明日、明後日は、文化祭です。
今日は、作品の展示をしてきました。

やっと一息つけそうです。
文化祭の作品を書いたり、仕事の手伝いをしたり、甥っ子兄の小学校の運動会を見に行った日の夜は父のいるケアハウスまで行って市制50周年記念の花火大会を見たり・・・。
その合間には、母の話や義妹の話を聞いて毎日、走っているような感じでブログまで手が回りませんでした。

明日は、甥っ子弟の幼稚園の運動会です。
まだ今月は、舅の17回忌もしないといけませんし、来月には町会の文化祭と忙しい日は続きます。

間に入ったら壊れる!

母と義妹、両方の話しを聞いていたら同じ話しが出てきました。
立場が代わっているだけで内容が、全く同じなら、その時に感じた気持も同じ。
なぜそうなる?
考えましたよ、私・・・。

で、結論!

誰かが間に入っている!

義妹に聞きました。
さらら「直接、かあさんから聞いた話とちがうよねぇ」
義妹「あ!おじいちゃんです」

原因は、父でした。
母には「○○さん(義妹)が、こんなこと言うてた」
義妹には「おかあちゃんが、こんなこと言うてた」
って・・・。

父は、そうやって嫁姑の仲が、こじれるようなこと他にもしてきているかもしれません。

でも義妹は言いました。
「おじいちゃんは、口先だけで人を喜ばすこと言わはるなぁ~とは思っていましたけど・・・」

母は、鵜呑みにしているに違いないです。

間に入って分かること

父がケアハウスに入居して実家は、落ち着くどころか、問題が次々と噴出しています。

母は、言うことを聞いてくれない、聞く耳を持たない父に、結婚以来、ずっと我慢してきました。
そうしないと父の怒りが、おさまらなかったなかった為ですが、
それで母は、50数年分の不満を心に溜めていたのです。

そんなに溜めると、当然!溢れます。
それが、母の家出のきっかけです。
元々言いたい事が、口にできない母の性格のせいで、
今度は、長男の嫁である弟の奥さんに対して・・・
 
あそこが、気に入らない。優しくない。えらそうにする!

など不満を私に言うので弟の奥さんにも話しを聞いてみました。
すると、同じ不満が出てくる出てくる!

父と母の間にも出てくる不満も、同じようなことです。

弟の奥さんは、まだ若いの上手く説明すれば、わかってもらえる部分もあると思いますが、父と母の場合
「オレ(私)は悪くない!悪いのは、おかあちゃん(おとうちゃん)の方や!」
と思っているので解決の糸口が、ありません。

相手を責める前に自分を省みることが、できればいいんですけどね。

一泊旅行

ケアハウスに入居して間もなく、父が
「旅行に行きたい!」
と言い出しました。
そう言われても一人では行かせられないし 
『ドライブでも連れて行こうかなぁ~』
と思っていたら義妹から
「おじいちゃんが旅行に行きたいっていうてるし夏休みに子供らどこにも連れていってあげる予定がないので一緒に一泊で海にでも行こうと思うんですけどお姉さんも行きません?」
と、お誘いがありました。

「おにいさんまで行ったら、おばあちゃん困らはるでしょ?」
と姑の心配してくれる義妹をよそに夫は
「行く行く!」
と行く気、満々!
父と義妹、二人の甥っ子、そして私達夫婦の6人で海水浴に行くことになりました。

7月の終わりにお盆に予約できてしまう民宿だけあって古いし、お料理もイマイチでした。
でも!期待していなかった海が、そこそこ透明感もあって砂浜もきれいでしかも人がまばら!
穴場でした。

この旅行で、海に入っても思うように泳げないことや、畳の生活では立ち上がるのも一苦労だった父は、自分の老いに少し気づいたようです。

もっと自覚してくれたら母への攻撃もなくなってくると思うのですが・・・。

無事入居

7月25日、父がケアハウスに入居しました。
その二日前、今まで父に会うのを怖がっていた母が、病院に行きたいと言ったので一緒に行ってきました。

入院していた4ヶ月の間に父は、何通もの手紙を母に書いていました。
けれど、返事をすることによって父の思い込みが修正されることより自分の記憶と違うことで余計、怒りを買わないかと心配して今まで手紙を無視していたのですが、ケアハウスに入居する前に母としても区切りをつけたいと思ったらしく考え抜いた返事をしたようです。

ケアハウスに入居した日、母の手紙の内容が気に入らないと文句を言うかと心配しながら行ってみると機嫌よくしていましたし、今まで母のことを
”あの人”とか呼び捨てにしたいた父の口から久しぶりに
「おかあちゃん」という親しみのある言葉を聞きました。

返事の手紙に喜んでいるようで、今度は、会って話しができるようになるよう試行錯誤していかないといけないと思っています。

入居します。

ケアハウスを見学したものの、いつ入居してくれるかと心配していましたが、病院で今の病棟から老人病棟に移るように言われて、突然!
「病棟を変わるぐらいやったらケアハウスに行く」
と言いだし、ケアハウスの入居が決まりました。

どう説得しようかと弟夫婦も主治医の先生も悩んでいたので気が変わらないうちに早く入居させた方がいいと思ったのですが、手続きとかいろいろあるのと主治医の先生が、早い夏休みを撮られていたので25日になりました。

病院まで電車だと早くて1時間半で週に1回しか行けませんでした。
でもケアハウスは自転車で行けるので毎日でもOKです。

ただ、母に対する攻撃的な思いは変わっていないのでケアハウスから脱走しないか、母がおびえています。

ケアハウス見学

一度は、父をケアハウスを見学させなければならないので義妹と作戦会議をして
「食事に誘う」
ことにしました。
そして甥っ子(父からすると孫)が一緒に行くと言ってくれたので幼稚園を休ませて連れていきました。

「行こう」「行けへん」
という押し問答をさんざんしないと動かないと思っていたのに
迎えに行くと、出かける支度をしました。
そして・・・

「施設(ケアハウス)にも行くんか?」
聞いたので、だまして連れて行くのもどうかと思ったので
「そこにも行くよ」
と言ったら、
「オレは行けへんで」
と言うのものの支度は、完了!
よほど外に出たかったのか、さっさとクルマに乗って出発の運びとなりました。

ケアハウスに着いても
「こんなとこに入れへんで!」
と言いながら、ドンドン中に入ってゆき全部見学する父。
ケアハウスが、どんなところか知りたかったのかもしれません。

その後、お昼ご飯を食べて病院へ戻りました。
入居する気が全くなければ見学にも行かないと思うので望みを持って帰って来ました。

脳の萎縮

6月中旬の土曜日、グループホームとケアハウスの責任者の方が、面接に来てくださいました。
父は、自分が悪くて入院したのでは、ないと言うことを主張しようと
「話したいことは、いっぱいある。明日の朝までつきあってくれ」
と、嫌がらせをします。
そんなことには、とてもよく頭が回るのですが、主治医の先生によると
「前頭葉に萎縮が見られます」とのこと。

年齢を重ねると脳全体が均等に萎縮するのは、珍しくないらしいのですが、父の場合、前頭葉の萎縮が若干進んでいて、感情のコントロールがうまくできないのも、これが原因のようです。

今のところ感情のコントロールが出来ないのは母に関してだけなので、グループホームかケアハウスでは
「他の人とのコミュニケーションは取れます」
と先生が説明してくださったので
責任者「一度、施設を見に来てください」
と言って帰られました。

しかし「家へは、帰るけど施設に行くつもりは無い!家に帰られへんのやったら、ココにおる」
と言う父。
言うこと聞かないのは今に始まったことでは、ないので
「やっぱりな~」と思いながら
「どうすんの?」
と困った状況には変わりありません。

介護認定

母に対して攻撃的なこと以外は、いたって普通な父。
それで介護認定を受けたら・・・「支援1」
いままで「支援2」だったのに軽くなっているんです!
家族が困っているということを しっかりアピールしたハズなんですけど書類審査では、そこまで伝わらなかったようです。

いつも相談に乗ってくださっている福祉の方に弟が電話すると
「それはおかしいですね。区分変更できるようにします」
ということで再度、審査をしてもらえることになって
次に来てくださった審査の方が、
「認知症で、あることを強調しておきます」
と認めてくださったお陰で
介護1になりました。

これで父がグループホームに入ることを承諾してくれればいいんですが、「やらしいとこや~」
と、言っているかと思えば
「病院の方がええ!」
と言うし、グループホームの方の面接が、あるのでその気分でどうなりますやら・・・。

みんな覚悟をしていたら・・・

父の兄弟で年長の叔母(87歳)が今年の3月から入院していて何度も
「もう危ないかもしれない・・・」
という状態になっているので親戚中がそれなりの覚悟をしていました。

そして先日、弟から届いた訃報のメール。
てっきり叔母だと思って読んでいたら叔母の名前が、書かれていません。
「ん?どういうこと????」
もう一度、読み直したら叔父(父の長兄84歳)の名前がありました。

先週、実家からの帰り偶然、叔母に会って叔父も元気にしている様子を聞いていただけにビックリ!
それは私だけでなく、連絡を受けた親戚、皆が
「え?おばちゃんと違うの?」
ということだったようで、だれも叔父が先に逝くとは思っていなかったのです。

前日、寝るまで普通の生活をしていて朝になったら・・・・という大往生でした。

父と正確が似ていて仲が良かったとは言えませんが、やっぱり父が知ったら力を落としそうで心配です。

ホントの気持

処方してもらって薬が合わなくて体調が悪くなったため全く薬を飲まなくなった父。
先生も治療ができないのでお手上げ状態です。

時間があれば父に会いに病院へ行っていましたが、10日ほど忙しくて行けませんでした。
その間に老人病棟へ移りました。

病棟を移って初めて面会に行ったら
「こんなとこ、いやや~」
泣きながら出てきました。

以前の病棟と違って話し相手がないのと、個室から大部屋に変わったこともあってゆっくり寝られないとか。

でも!
私と会って泣いている父を見た看護師さん達は、全員
「娘さんが来てくれて嬉しいねんね~よかったね~」

ダメですよ~看護師さん達ぃ~思い込みで判断したら~~

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芸術的なこと。
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両親のいざこざから始まり休む間の無い日常、そして頑張りすぎた私に降りかかってきた災難!
元気が、取り柄だったのに病気とお友達になってしまいました。
介護と向かい合ったことから、回復日記と健康日記へと続きます。

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